『手のとどく距離』
　どこからともなく呼ぶ声が聞こえる。頭の中に直接呼びかけてくるような、風にのって流れてくるような、不思議な声。呼びかけてくる人が遠くにいるのか近くにいるのか、それさえもわからないけれど、確かに私を呼んでいる。

　　　　　　……！

　ほら、また。
　言葉をしっかりと聞き取ることもできないのに、不思議とそれが自分の名前だということだけはわかる。
　そうして、応えたいという熱い衝動が、身の内を焦がすような激しさでこみあげてくることも。

　　　　　　私はここにいるわ。

　突き動かされるように叫んだ声は、呼び続ける誰かには届かない。私たちの間を隔てる何かがそこに存在するようだ。言葉を聞き取ることが出来ないのも、きっとそのせいなのだろう。
　声は聞こえるのに言葉は理解できず、存在を感じ取ることは出来るのに触れあうことは叶わない。もどかしくてもどかしくて、でもどうにもできないそれを、私は長い間堪え忍んできた。
　ずっと違和感があった。この場所にいることに、ここで生活していくことに、誰かと笑い合うことに。自分の居場所はここではないと、身体が、心が、叫ぶように訴えかけてくる。今の生活にも周囲の環境にも、両親にも友人にも何も不満はないはずなのに、理由のわからない焦燥感がいつもつきまとう。
　その原因を、この声なら教えてくれるような気がする。あるべき場所へと連れていってくれるような気がする。
　だから、早く。
　またあなたの声が聞こえなくなる前に、共に行くことが叶わなくなる前に、迎えに来て。暖かい光に満ちた世界へと帰る術を忘れてしまった私を。




　目が覚めると、小学四年生くらいの男の子が私をのぞき込んでいた。
　あまりに非日常的なそれに頭がうまく働かず、何も言えずにじっと見つめ返してしまう。
　やたらと整った顔に、何もかもを見透かしてしまうような意志の強い瞳。そうして、力強く私の手を握っているのは……。
「ようやく目覚めたようだな、アイーシャ」
　はい？
「そなたを探し続けて早、四百二十七年、八ヶ月と十三日。よもやこのようなところで邂逅が叶おうとは、ついぞ思わなかったぞ」
　いや、だから。アンタ誰？
　首をかしげた私を無視して、もう一人男の子が現れた。こっちは私の手を握っている子より一つ二つ年下みたい。でもまぁ、小学生な事には変わりない。
　つか、二人もいるのかよ！　どうやって入ったのさ！　……鍵、閉めたよね？　チェーンもしっかりかけたと思うんだけど。
「長年の宿願が叶いました今日は、何ともめでたき日。これまでのナルニス様のご苦労を思い起こしますとこのラプス、思わず涙が……」
「思えばお前にも苦労をかけたな、ラプス」
「滅相もない！　私などただただナルニス様の後をついて回っていただけのこと。それより、ようやくアイーシャ様との邂逅が叶い、まことに喜ばしい限りでございます。幸い、今生のアイーシャ様はお若くご健勝な様子。私はしばし席を外しております故、お二人はどうぞごゆっくりお話ください」
「うむ、ではそうしよう」
　小学生とは思えないような仕草で頭を下げて、『ラプス』とかいう男の子は部屋から出ていった。………あのー、どこからどう見ても、鍵壊れてるんですけど。誰が壊したの？　誰が直してくれるの？
　全然状況が飲み込めないでいる私を無視して、『ナルニス』とか呼ばれていた男の子は私の手の甲にそっとキスをした。
「会いたかったぞ、アイーシャ」
　その目には、たかだか十年足らずの年月では到底備えることができないような、慈しみ溢れた光が宿っていた。
　なんか……怖いんだけど。



　つまり、わかりやすく説明すると。
　アイーシャ（私のことらしい）は異世界、某国のお姫さまで、ナルニスはアイーシャの婚約者で隣国の王子さま。ラプスはナルニスの従者らしい。
　ナルニスのところにお輿入れに向かう途中、盗賊だか山賊だかの一行に襲われたアイーシャはそこで命を落としてしまった。でも、一行の中に付き従っていた呪術師が（激しく胡散臭い）アイーシャの魂に転生の魔法をかけたらしい。だから、アイーシャはこの世界で何度も転生を繰り返しているんだって。
　で、息も絶え絶えな呪術師から事情を聞いたナルニスは、アイーシャを探し求めてあちこちの体を拝借してこの世界を渡り歩いているらしい。
　ようやく探し当てた前世では、アイーシャは百五歳の高齢で、息を引き取った直後だったらしい。それが悔しくて悔しくて、次は絶対に見つけてやるとナルニスは固く決意した。
「　　　　　それで、私を見つけたってわけ？」
　にこにこ笑顔を崩さないまま（相当うれしいらしい）懇切丁寧に説明をしてくれるナルニスに、胡散臭いだとかウザイとか言うわけにもいかなくて、私はため息をつく。
「そなたと言葉をかわすのは初めてだが、想像以上に愛らしい声をしている」
「初めて！？　だって、婚約者だったんでしょ？」
「我が国とそなたの国は、隣国とはいえ険しい山々を越えていかねば辿り着けないほど遠い国。姿絵を眺めるのがせいぜいであった」
　そ、そんな相手のことを四百年以上も探してたの？　……気が長いっていうか…あ、あほっていうか…。
　がくっと脱力した私を見て、ナルニスは可愛らしい笑顔を浮かべた。満面の笑みって、こういうもののことをいうのね、って感じの。
「これからは共に暮らせるのだな……。この日をどれだけ待ち望んでいたか」
　…………………………えーっと……、冗談、だよね？
　あんたは待ち望んでいたかもしれないけど、私はあんたのことなんてこれっぽっちも覚えていないんですけど。




「なんだ、九九の勉強をしておるのか」
　声変わりにはまだまだ間がありそうな、いかにも小学生といった声が静けさを破った。それに答えるのも、やっぱり同じような幼い声。
「はい、なかなか難しゅうございます」
「そうだな、私も七の段から先は覚えるのに苦労したものだ……。しかしな、ラプス。湯殿の中で呪文のように唱えておれば、いずれ覚えられるぞ」
「ありがとうございます。今日よりさっそく実行させていただきます。ナルニス様でも覚えるのに難儀なさったのであれば、私などはその何倍も努力せねば頭の中に入っては来ますまい」
　あああ、頭痛い…。
　本人達はいたって真剣なのだろうけれど、横でそれを聞いている私にとってはたまったものじゃない。だって、会話っていうのはどうあがいても耳に入って来ちゃうものでしょ？　聞きたくないからって、ずっと耳栓しているわけにもいかないし。毎日毎日こんな風じゃ、頭がおかしくなりそう。
　目が覚めたらナルニスが私の枕元に座っていたあの日から、今日で一週間が過ぎ去った。その間、この二人はずっと私の部屋にいる。帰れと言ってもきかず、あろうことか今現在の両親に術をかけて、従姉の（私のことだ）ところに居候させてもらっているという設定を築き上げたようだ。（そういえば、驚くべきことにこの二人の現在の関係は兄弟らしい）
　朝食の仕度、夕食の仕度、掃除、洗濯、その他諸々の家事は、なぜかラプスがすべてやってくれてるから、私としてはすごく楽で助かってるんだけど。だって、帰ってきたら立派な夕食が出来ていて、お風呂の仕度もできていて、天日干しでふかふかになったお布団で眠れるのよ！　自分の手を一切使わずに。これを天国と言わず、どこを天国というの。
「アイーシャ、少しは私のことを思いだしたか？」
　開いていたテキストに手をついて身をのりだし、ナルニスが私の顔をのぞき込んでくる。
「全然」
　これはちょっと嘘。頭の中に語り掛けてくるみたいな声がしていたことを、私はまだナルニスに言ってない。だって、本人だって保証はないんだし。
「そうか。まぁ気長に思い出すと良い。無理に思い出させようとして逆に記憶をなくしてしまうようなことがあれば、元も子もないからな」
　それまで長い年月をアイーシャ探しに費やしてきたとは思えないほど、ナルニスには余裕がある。
　二人で行動していたとはいっても、その時間の長さは半端じゃない。途中で嫌になって元の世界へ帰ろうとは思わなかったのかな。アイーシャへの想いはそれほど深かったってことなの。何かちょっと怖い…。
「アイーシャに会えたらどうするつもりだったの？」
　何となく予想はついていたけど、聞かずにはいられなくて。
「無論、華燭の典をあげるつもりであったが」
　へぇ、あっちでも『華燭の典』っていうんだ。…って、そうじゃなくて！　それって、私と結婚するつもりってことでしょ！？　今すぐ！？
「だが、アイーシャが記憶を取り戻してくれるのを待たねばならないからな。私との結婚を望んでくれねば意味がない」
　結構まともなことを考えているのかと安心する。だって、無理やり元いた（らしい）世界に連れて行かれるんじゃないかと思ってたから。
「しかしナルニス様、書物によればこちらの世界では十八歳になるまでは結婚できないようですぞ」
「何！？　ではあと十年ほども待たねばならんということか！」
「そのようにございます」
「何ということだ………」
　何だラプスはよく知ってるじゃないと感心して見れば、あいつが持ってるのって私の雑誌じゃない！
「ちょっと！　勝手に見ないでよ！」
「なになに、『今年の夏はこれで乗り切ろう！　スキンケアでめざせ素肌美人』…ほぅ、面白いものにございますな」
　べ、別に日焼けが気になるわけじゃないもん。シミとかそばかすが怖いってわけでもないもん！　ただ、ただね、どんなものかなーって思って買ってみただけだから。うん。
　そんな私の心の叫びなんてお見通しだと言いたげに、ラプスはにっこり笑った。
「アイーシャ様は美しい肌をなさっておいででしたので、大丈夫でございますよ」
　それは、私の肌は汚いって遠回しに言ってんの？　失礼なやつ！
「確かに、アイーシャは美しかった」
　お前もか！　ナルニス！　何をうなずいてるのよ。
　私の心の叫びにも気づかずに、二人はさらに会話を続ける。
「そろそろ効き目が出てくる頃でしょうから、ご心配なく」
「何だ、あれを使っておるのか」
「はい。毎日の食事に少しずつ」
「うむ、今の年が花の盛りといったところだろうからな…。あとは磨けばどうとでもなる」
「仰せの通りにございます」
　………あの、何の話？　ここにこいつらがいつくようになってから、食事の支度はラプスがやってくれてるんだけど、その中に何かよからぬものが入ってるってこと？　すごい美味しくて、もりもり食べてるのに！
「成長を緩やかにし、体内の不純物をとりのぞいてくれる、我が家に代々続く秘薬にございます。ご安心を」
　恐怖が顔に出ていたのか、ラプスは苦笑いしながら教えてくれた。だからって！　中身がわかったからって思いっきりあやしいじゃない！　安心なんてできるか！　何なのよ、『成長を緩やかに』って！
「ラプスの家系は代々王宮付きの薬師でな、人体のことに精通しているゆえ、安心して任せるがいい。国におるときも、これほど信頼に値する者はおらなんだ」
「もったいないお言葉、身に余る栄誉にございます」
　あーあー、もぅ！　安心できるわけないってーの！　こいつらバカじゃないの！？　小学生の外見が、その言葉の信憑性をなくしてるって気づかないの！？
「アイーシャ、美しさと若さを半永久的に保つことが出来るのだ、女の身にとっては願ってもないことだろう」
　う、それは確かに心惹かれるものがある。だってぴちぴちして張りのある肌を保てるってすばらしいことじゃない？　誰だって、シワシワになった自分なんて見たくないし。
　あれ、でも。
「あんた達もその秘薬を口にしてるの？」
「無論だ。王家とそれに関わる人間は口にする義務がある」
「その姿で？」
「何？」
「だから、その姿のまま成長を遅らせていいの？　せめて成人してからのほうがいいんじゃない？」
「………何と言うことだ！　アイーシャの言うとおりではないか、このままでは元の年齢まで何年かかることか！」
　ようやく気づいたのか、テーブルをバンと叩いたナルニスの勢いに反応して、ラプスの顔が一瞬にして真っ青になった。
「さ、さっそく今日より食事をわけます。気づかずに大変なことをしでかしてしまいました、申し訳ございません！　この上は、どのようなお叱りを受けても当然にございます！」
「いや、気づかなかった私にも非はある。お前を咎めはしない」
「ありがとうございます…っ！　ナルニス様の寛大さには私、涙が…」
　どうしよう、こいつらバカだ。底なしのバカだ。
　こんなやつと結婚しなきゃならないなんて、気が重いな。
「ただでさえ、元の年齢に戻るのに三十年はかかるというのに」
　ナルニスのその言葉は、あまりのバカさにあきれてクラクラしていた頭を、ガツンと殴られたような衝撃を私に与えた。
　………は？　三十年？　って、おっさんじゃない！　そんなおっさんと結婚しなきゃいけないの！？　
「あんた、元の世界では何歳だったの！」
「三十九だが、それがどうかしたのか？」
「おっさんじゃない！　それなのに私は今の年を保てって……釣り合いとれないでしょ！」
「何をおかしな事を言う。王が年若ければ威厳が保てぬではないか。年齢を重ねてこそ滲み出る存在感というものがあろう。思ったより成長が止まるのが早くてな、三十九という年齢は若すぎて困るほどなのだぞ。だが、女は若いほうが良いではないか。子を産むにしても、女自身の美を保つにしても」
　そうだけど、そうだけど、そうだけど……。
　せいぜい二十代後半だろうと思っていたナルニスの本当の年を知らされて、ショックを受けないわけがない。そりゃ、世の中に素敵なおじさまがいないわけじゃないとは思うけど、こんなのってない。映画だろうが小説だろうが、こういう展開には美少年なり美青年が現れるって決まってるはずなのに！
　ああ、思い出したくなくなってきた。
「どうしても思い出せなければ、最終的には薬に頼るという手もあるからな。まぁ、私が成人を迎えるまで努力してくれ」
「え？」
「……そういえば、話していなかったか。あちらの世界に戻るための力が足りなくてな。『扉』を開くためには、頑健な肉体と精神が必要になってくるのだ。成人まで待つほかないのだ」
「それまでアイーシャ様の記憶が戻らぬとあらば、思い出すための薬はいつでもこのラプスがご用意いたします」
「そういうわけで、あと十年ばかりは待ってくれ」
　ぬけぬけと言い放ったナルニスを見て、私は全身の力が抜けた。ああもう、好きにして。十年後がどうなるかなんて私には予想もつかないから。
　ただ、ほんの少しだけ。
　ラプスをともなったナルニスと一緒に、彼の言う『あちらの世界』に行っているような気がしないでもないけどね。
SAYAさんにお会いした時に「何かくれ」と言ったら本当に下さいました。やったぁ！
とにかくお祝いSS（笑）←SAYAさんがそう言ったんだよ。
アイーシャちゃんダブルつっこみご苦労様と肩を叩きなるようなお話です（笑）
'03.09.06
Treasure
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